例えば、棟梁の息子。三歳から現場に行き、
遊びながら、習いながら過ごしたならば、
20歳までにはどんな子供になるだろうか。
きっと、既に押しも押されぬ風格が芽生えているだろう。
そこから更に腕を磨くなら世界一の棟梁になるかもしれない。
そして、人々はこういうだろう。天才だと。
違う道を選んだとしても、その風格と、自信は衰えることなく、
どう転んでも生きていける糧がある。
今の日本で、20歳で、自力で生きていける人がいるだろうか?
天才が、他の人と異なる才能と過程するなら
天才である。
例えば、それがサラリーマンであっても、
親の稼ぐ力を受け継ぐことは、同様に生きる力を身につけることを意味する。
大袈裟に言うなら、社会順応のための学校は行く必要もない。
能力を高めるための学びなら、行く必要もある。
もう少し、家庭に教育があってもいい。もう少し家庭に伝える場があってもいい。
そんな家庭が増えるなら。能力が高い子供が日本に増えるなら。
きっと、日本にも明るい日差しが差すだろうか。
このプロジェクトはもう少し教育を学校任せにしない。
そのための空間を家庭に得るプロジェクトである。